「写真の行間」学群4年 kotomi
写真と小説は似ている。
いきなりだけれど、わたしは写真と小説が好きだ。この二つは、一見全く異なるように思えるが、実はすごく近いのではないか、とふと思った。
撮影者を著者、鑑賞者を読者、被写体を登場人物と置き換えたらわかりやすいかもしれない。
ともかく、今日はそういう視点から、写真についてとりとめもなく書いてみようと思
う。
さて、小説を読む時、わたしたち読者にとっては本に書かれた情報が全てである。そこに書かれなかった著者の意図や、登場人物の背景は知りようがない。そこで、わたしたちはなんとか想像してその穴を埋めながら読み進めていく。
小説はいわば、著者が作り上げた世界を構成するピースの一つなのだと思う。もちろん、それは現実には存在していないし、本の中でしか生きられない。わたしたちは、文字の羅列から情報を読み取って、著者の作った世界を自分なりに再現する。つまり、その1ピースを頼りに、自らの想像力で残りのピースを補完して、一枚の絵を完成させようとするのだ。
一方の写真はどうだろう。写真を撮る時、わたしたちは「見たまま」を切り取っているような感覚になる。確かに、写真を見るとそこにあるもの全てを写しているような気がする。けれど、写真に写っているのは本当に「見たまま」なのだろうか?写真に写っているのは、現実の一部を意図的に切り取った「作りもの」の世界ではないか
そう考えると、小説との共通点が見えてくる。小説がそうであるように、写真もまた、撮影者が構築した世界の内の1ピースなのだ。
鑑賞者は、写真という物語の「行間」を読み、それぞれの解釈をする。切り取られた四角形の外側の世界を想像する。小説を読むときのように。
そうやって鑑賞者たちが完成させたものには、それぞれ異なる絵が現れているだろう。
それが写真の面白さの一つなのだと思う
ときに、わたしは、カメラ片手に目的もなく歩きながら、ふと心に留まったシーンを撮影している。後から見返してみると、なぜ撮ったのか思い出せないような写真に遭遇することも多々あるが、その四角形の外側を改めて想像してみるのも結構楽しい。
いつか、読者の想像力を掻き立てワクワクさせる、面白い小説のような写真を撮影できるようになりたいものだ
kotomi
©︎ 2020 筑波大学写真部